※この記事には、作品の内容に触れる表現や
ネタバレを含む場合があります。 未読の方はご注意ください。
イワン・イリイチの死
(Смерть Ивана Ильича)
著者:レフ・トルストイ
出世と体裁だけで生きてきた男が、死の直前に人生の答えを突きつけられる話
高等裁判所の判事として、無難で立派な人生を送ってきたイワン・イリイチ。ところが突然の病が、彼から仕事も日常も、そして逃げ場まで奪っていく。死が目前に迫る中で、彼は「自分は正しく生きてきたはずだ」という確信と、「もしかして全部間違っていたのでは」という疑念の間でもがき続ける。そして最後の瞬間、彼がたどり着くのは、社会的成功とはまったく別の場所にある答えだった。
ざっくり時系列
イワンが順調に出世し、安定した生活を送る
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新居での事故をきっかけに体調を崩す
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原因不明の病が悪化し、仕事を続けられなくなる
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医師や家族が病状を曖昧に扱う
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激しい痛みと孤独の中で死を意識し始める
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自分の人生は正しかったのか考え続ける
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唯一率直に接するゲラシムに慰められる
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人生のあり方を根本から問い直す
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最期の瞬間に恐怖が消え、死を受け入れる
物語の主要人物
・イワン・イリイチ・ゴロビン
高等裁判所の判事。社会的に成功した人生を送るが、病と死に直面して内省を深める
・プラスコーヴィヤ・フョードロヴナ
イワンの妻。夫の苦しみよりも、生活や体裁を優先する
・ゲラシム
若い召使い。イワンの死を恐れず、率直に寄り添う唯一の存在
・ピョートル・イワノヴィチ
イワンの友人で同僚。彼の死期を最初に現実として理解する
・ヴァシア
イワンの息子。父に対して自然な同情を示す
・リサ
イワンの娘。婚約を控え、家庭内の緊張の一因となる
うまくやってきた人生が、突然音を立てて崩れ始める
イワン・イリイチは、世間的に見れば理想的な人生を歩んできた。無難な結婚、着実な昇進、体裁の整った家庭。多少の不満はあっても、それは誰にでもあることだと思っていた。
ところが、新居での些細な事故をきっかけに、脇腹の痛みが始まる。最初は気に留めなかった痛みは次第に強まり、医者にかかってもはっきりした説明はない。仕事を休み、やがて寝たきりになるにつれ、イワンの世界は一気に狭まっていく。
痛みと孤独の中で、死が現実になる
家族は彼の死を直視しようとせず、あくまで「病気が長引いているだけ」という態度を崩さない。そのごまかしが、イワンには耐え難い。
彼は考え続ける。自分は正しく生きてきたはずだ。だから、こんな苦しみを受ける理由はない。もし人生が間違っていたなら、苦しみにも意味があったかもしれない。でも、自分は模範的だったはずだ。
その考えにすがるほど、苦しみは深くなっていく。
ゲラシムだけが、死を嘘で包まない
唯一の救いは、召使いのゲラシムだった。彼はイワンの死を恐れず、隠さず、同情をもって接する。足を支え、夜通し世話をしながら、「誰でも死ぬものですから」と自然に語る。
ゲラシムの態度に触れることで、イワンは初めて、自分の人生が本当に良いものだったのか疑い始める。社会的に正しい人生と、人として正しい人生は同じではないのではないか、と。
最後に見えたのは、成功とは無関係な場所
死の直前、イワンは気づく。自分が生きてきたのは、体裁と利己心で塗り固められた作り物の人生だった。ゲラシムのような、他人を思いやる生き方こそが真の人生なのだと。
その瞬間、彼の中から死への恐怖が消える。息子に触れ、家族を憐れみ、自分の死が彼らを解放することを願う。トルストイが描くように、恐怖が消えたとき、死そのものもまた消え去る。
この小説のポイント
社会的成功と幸福が一致しないことを徹底的に描いている
死を前にした人間の思考の揺れが、細かく追われている
ゲラシムという存在が、価値観の対照として強く機能する
宗教的でありながら、日常感覚に根ざした問いかけになっている
短い中編ながら、人生全体を振り返らされる密度がある
たぶんこんな小説
順調に生きてきたはずなのに、ふと立ち止まったときに「これでよかったのかな」と思ってしまう瞬間、その不安を真正面から突いてくる。怖い話なのに、最後は不思議と静かで、救いがある。読み終わると、成功とか正しさって何だったんだろう、と自分の生活を少しだけ見直したくなる一冊。

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